ぽち凧のディスプレー台 |
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寸法:横幅420o 奥行350o 高さ270o |
凧の形の祝儀袋・ポチ袋 (小11cm×7.1cm・大17cm×11.4cm) |
内容(ポチ袋、シール) |
裏面 |
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※シール本体は下図の6種類あります
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十二支暦 額縁入り凧の祝儀袋 |
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龍
「龍」は 地上、空中、水中に棲み、雲や風雨を自在に支配する力をもつ
仏法守護神であり、昇運の神とされています。
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東洲斎写楽の浮世絵
写楽は、寛政6年5月(1794年) 〜 寛政7年1月 の短い期間に、
144枚の浮世絵を描いて忽然と消えた謎の浮世絵師。
この浮世絵は、三代目 大谷鬼次の 奴江戸兵衛 。
寛政6年5月 河原崎座上演「恋女房染分手綱」より。
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喜多川歌麿の浮世絵
この絵は、高名美人六歌撰の扇屋花扇。
「人まねきらい、しきうつしなし 自力画師 歌麿が筆に・・」
と記された手紙に、歌麿の自負が のぞく美人画である。
ボストン美術館 蔵
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壇ノ浦の源平合戦における 八艘飛びの活躍で有名な
源義経の勇姿
源義経は、幼名「牛若丸」。
日本歴史に登場する武将のなかでも、最も日本人の心に残る勇将。
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東洲斎写楽の浮世絵
写楽は、寛政6年5月(1794年) 〜 寛政7年1月 の短い期間に、
144枚の浮世絵を描いて忽然と消えた謎の浮世絵師。
この浮世絵は、市川男女蔵 の 奴一平。
寛政6年5月 河原崎座上演「恋女房染分手綱」より。
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喜多川歌麿の浮世絵。
この絵は、寛政期を代表する美人、高島おひさ。
単冊に「愛敬も茶もこぼれつつ さめぬんなり」とある。
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江戸末期 美人画の第一人者、鳥居清長の浮世絵
金太郎は、源頼光の四天王と呼ばれた中の1人
坂田金時の幼名。
それにまつわる怪童伝説では、相模の足柄山に住んだ山姥の子と云われ、体格抜群に優れ全身赤くて怪力無双。
常に鉞を担いだ腹巻姿で、熊や鹿・猿などを友にして山野を駆け回っていたという。
尚、源頼光は平安中期の剛勇の誉れ高い武将で、大江山の酒顛童子征伐や土蜘蛛の妖怪退治伝説などで有名である。
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東洲斎写楽の浮世絵
写楽は、寛政6年5月(1794年) 〜 寛政7年1月 の短い期間に、
144枚の浮世絵を描いて忽然と消えた謎の浮世絵師。
この浮世絵は、市川高麗蔵の志賀大七。
寛政6年5月 桐座上演「敵討乗合話」より。
大英博物館蔵。
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喜多川歌麿 の 浮世絵 (1753〜1806)
この絵は、江戸高名美人 木挽町新屋敷の小伊勢屋おちゑ。
黄表紙を読む、普段着姿の おちゑは、寛政5年 18歳でした。
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豊原国周 の 浮世絵
国周は、江戸末期から明治に活躍した浮世絵師。
羽子板の原画も描き、その画才は明治を代表する浮世絵師といわれる。
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東洲斎写楽の浮世絵
写楽は、寛政6年5月(1794年) 〜 寛政7年1月 の短い期間に、
144枚の浮世絵を描いて忽然と消えた謎の浮世絵師。
この浮世絵は 市川鰕蔵の竹村定之進。(鰕蔵は五代目団十郎の改名)
寛政6年5月 河原崎座上演「恋女房染分手綱」より。 寛政期を代表する役者のスケールの大きさが画面に充溢している。 東京国立博物館蔵。
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喜多川歌麿 の 浮世絵 (1753〜1806)
ビードロ(ポッペン)を吹く娘。
歌麿の代表作のひとつ。 ホノルル美術館蔵。
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鐘馗石原 喜一 画
唐の玄宗皇帝の夢の中に、鐘馗が出て来て 帝の魔を祓い、病を癒したという故事から 疫鬼を退治し、魔を除く という神。
巨眼・多髪で黒冠をつけ、長靴を穿き 右手に剣を執り悪鬼をつかむ。日本でも 五月幟や五月人形に作り、疫病退散 家内安全を祈願するようになった。
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